新橋田村町地区に150mの超高層ビルが建つ再開発が進行中です。
ただ、新橋の田村町ってどこ?と思った人も多いはずです。
聞きなれない町名ですが、今は新橋に田村町という町名はなく、昔使われていた町名になります。
港区の町名旧新対照表を見ると、再開発現場付近は芝田村町で、港区にたくさん「芝」という字が並びます。
新橋田村町地区の地名の変遷などに思いを馳せながら再開発の現場の様子を見てきました。
「(仮称)新橋田村町地区開発計画」の概要
「(仮称)新橋田村町地区開発計画」の昨年2017年の初めにはその概要が発表されていますが、あらためてその内容をさらっと整理しておきます。
「(仮称)新橋田村町地区開発計画」は三井物産都市開発が、一部周辺地権者と共同で、超高層複合オフィスビルの開発を行う再開発事業です。
場所は、東京都港区西新橋一丁目。新橋田村町地区とありますが、現在の西新橋が昔は田村町という名称だったことに由来します。
正確な場所はこの辺りにになります。
出典 東京都都市整備局
都営地下鉄の内幸町、東京メトロの霞が関、虎ノ門の3つの駅に囲まれるような場所になります。東に向かい新橋駅方面に歩いていくと、こちらの再開発現場があります。
「(仮称)新橋田村町地区開発計画」では、高さ150mの超高層ビルが建設されますが、完成イメージはこんな感じ。
出典 東京都都市整備局
工事は現在既存の建物の解体工事が行われている段階で、今年2018年4月に超高層ビルの整備に着手する予定になっています。
現地の様子
「(仮称)新橋田村町地区開発計画」の2017年12月現在の様子です。
現地の表記ですが、「B工区~G工区」に分けて解体工事が行われることになっています。
北東側からG工区の様子です。
こちらは物産ビル別館の解体工事であることが掲示されています。
建築計画も掲示されています。ちょっと斜めになっていますがご容赦ください(^_^;)
敷地約7688㎡に、地上27階高さ約150mの超高層複合ビルが建設されることになります。
C工区とB工区の様子です。
街区中央の道路を東側から見た様子です。
逆の東側から見た様子です。
現地の一番東側愛宕通りからの様子です。
解体工事は順調に進み、いよいよ本体のビル着工が数ヶ月後に近づいています。
詳細がいまいちよくわからない再開発ですが、今後その全貌が明らかになっていくことでしょう。
港区と「芝」という地名
東京の港区周辺には「芝」がつく地名がたくさんあります。
そのまま芝町という地名もありますし、芝公園、芝浦、竹芝、芝大門などがそんな例ですね。
年配の人ですと周知のことでしょうが、東京にはかつて「芝区」がありました。現在の東京都港区の東側半分ぐらいがおよその範囲になります。
芝区は、1947年に麻布区と赤坂区が合併し現在の港区になりました。
この時芝区は消滅したわけですが、芝の地名を残すように、旧芝区の町名に「芝」の冠称がつけられていました。
そのひとつが「(仮称)新橋田村町地区開発計画」の旧地名である、芝田村町で現在の西新橋あたりになります。
旧地名がそのまま残っているというと芝浦がありますが、昔は「芝田町」、「芝浜松町」、「芝新橋」、「芝汐留」などの地名があり、それが現在の駅名などの元となっているということですね。
「芝」の地名の由来
東京にかつて芝区があり、その名残として現在でも「芝」のつく地名が多いわけですが、そもそも「芝」の地名の由来は何なのでしょうか?
「芝」の地名の由来は、様々な説がありますが、「芝が生い茂っていた場所」という説が有力です。
東京湾に面していて、芝が生い茂るという姿はなんとなく想像がつきますね。
そんな場所が今では東京の再開発事業の最もホットな場所のひとつになっています。
規制緩和で特定都市再生緊急整備地域に指定されている区域で、さらに東京オリンピック開催も後押しし再開発が目白押しという感じになっています。
都市生活ラボでも、そんな旧芝区のあった場所の様々な再開発を紹介してきました。
竹芝の再開発だったり。
浜松町の再開発も。
成長曲線は東京で一番という田町の再開発だったり。
芝浦の巨大なツインタワー計画や。
「芝」の地名の由来が諸説あるものの、仮に芝が生い茂る場所ということであれば、生い茂っていた芝が現在は超高層ビルへと変わる大変貌を遂げる町並みになろうとしています。
[…] 150mの超高層ビルが建つ「(仮称)新橋田村町地区開発計画」の様子 「芝」の地名 […]